浅草を行く・1・・・・観音様

東京マイノリティ

浅草を行く・1・・・・観音様


NOAH
こんにちは!NOAHです。

1963年4月東京オリンピックの前年に

浅草・浅草寺の裏「浅草寺病院」で生まれました。

当時の浅草も活気に溢れていた。今は浅草と言えば、浅草寺の大きな提灯や仲見世、スカイツリーですが、当時はロック(六区)映画館・芝居小屋・演芸場(お笑い)ストリップ劇場(ヌード劇場)見せ物小屋・パチンコ屋・・・などなど。

もう娯楽の殿堂なのだ(今は安売りの殿堂ドンキーが)もうそれはごった煮(ガンボ〜チャンプルー)な文化なのでした。

自宅からは歩いて行けましたからもう遊び場状態でしたね。

浅草寺には砂利が敷かれていて、無数の鳩が飛んでいました。

なぜかその鳩の餌が売店(専門の)でアルミの皿で1皿5円で販売していたのです。

また今のような規制はなくテキ屋さん(露天商・屋台)が無数に出ていたので、活気がありました。現在は規制されて数は限られていますね。

浅草寺には観音様が祀られておりますので、地元の人は浅草寺に行くことを「観音様」へ行くといいます。

浅草寺の近所には場外馬券売り場がありました

あとで書きますが、家の仕事の関係でお客さんのおじさん福島出身のSさんには毎週のように付き合わされました。

Sさんは当たるといつもおもちやを買ってくれるから付き合ったんだと思います。

子供心に馬券が宙を舞うのを眺めながら、あれはお金なのか?不思議な気分でした。とにかくギャンブラーがたくさんいました。

(なぜか私は競馬などの博打には手をだしませんでしたね。あ、人生の博打は続きますが・・・・)

必ず、観音様にはお参りに行くというのはこの当時から自然なことでした。今でもお参りのあの煙の匂いを嗅ぐと当時を思い出します。

続く・・・・