小春日和の平日の昼下がり、我が地元に友あらわる。
この半年の戦いはある意味、過酷であり、修行であり、挑戦であり、現実であり、
束の間の労いや、休息の日も大切なのだと思う。
散りゆく桜を眺め、多くを語らずともその背中から
栄光の影にも、怒りも挫折も、賞賛も奇跡も、不安も想像も共に背負って来た。
孤独のランナーにしかわからない、想像の道標をみた。
いつかの吉増さんが歩いた川のほとりをすすみ、
また、いつかのメカスさんを労う朝日のビルを横切りつつ、
池波正太郎の如く、路地筋の蕎麦屋で、しばし休息を。
これほど麦酒が、まるで御神酒のように、ありがたく乾杯を感じたことはない。わざわざ暖簾を開けてくれ、灯りを灯し、自転車を走らせて、くれた店主の心意気に感謝。
下町の神様に挨拶をし、映画の成功を祈願する。
久しみと心遣い、夢と信頼に時差も、国境も、過去の実績もない
そこにはただ、日本人のもつ、義理と人情があるだけ、
そうなんだ、その夢と義理と人情について、生まれも育ちも違う、ただどこかで確かにすれ違いはしている
間違いなく同じ時代を60年生きてきた人間たちがそこにはいた。
夕暮れは早く、まるで夢のような、1日は通り過ぎた。それは、ある春の日の確かな出来事であり、バスから手を振るその姿は確かにジョナスメカスに重なってしまった。
目眩vertigo が、描きたかった本当の理由をこの瞬間に僕は感じていた。
4月8日土曜日、東京池袋、新文芸坐にメカスさんが笑い、吉増さんが叫び、せいこうさんが吠える。
まさに奇跡の一夜になること間違いなし、僕らもこの歴史の目撃者になるべく馳せ参じます。
どうやら、時間の問題で完売になりそうだ。いや、なってほしい。出なけりゃ、歴史は変わらない
もう一度言おう、これは単なる映画鑑賞を超えた、人間の挑戦状なのだから。
土曜日、池袋で逢いましょう。