3.11 14年目の春

NOAHの旅ー寅ベラー(traveler0

2001年3月11日 岩手県北上市 さくらのホール 黒沢尻工業高校

14時24分、地震発生 屋外へ全員無事に避難

駅前、ホテルメッツ北上のロビーで多くの避難者と暖をとる

度重なる余震で外へ出てまた屋内へを繰り返す

ビジネスマンのノートパソコンから映し出された、三陸海岸の津波の様子

 

夕方、交渉してなんとかホテルメッツへ宿泊する。無料だった。

停電のため、エレベーター動かず、ホテルスタッフと共に五階へ懐中電灯を照らしながら部屋へ

暖房もないので多めに毛布をかける、タンクにお湯あり、風呂に入るも余震続く

夕飯はホテルのポテトチップとお茶、流石にビール飲む気もない

YOKOさんと連絡とれ無事が確認、東京は壮絶のようだ、

しばらく岩手から帰れないな

ホテルの窓から見える街は静かだ、駅構内も信号も消えて人は歩いていない

それでも余震が続き、洋服を着て靴を履いたままその日は眠った。

というか気がついたら夜が明けていた。

 


翌朝、ホテルスタッフの誘導で避難所へ徒歩で向かう

街の公民館の2階へ、同じようなホテル難民のビジネスマン

ほどなく地元のボランティアという青年がおにぎりとお吸い物を持ってきてくれた

体調は万全なので手伝う、ここにこのままいてもしょうがないという先の見えない不安を回避するため

何か動いていたかった

 

市内はまだ停電、食料を求めて、駅前の地下にあるスーパーが営業していた

懐中電灯照らしながらレジは電卓で計算、カップ麺を買い込む

避難所へ戻ると地元ケーブルテレビ取材が、なるべく悲惨な顔でカップ麺を食べる様子を

こんな時でも笑いを忘れません

 

素泊まり4500円 南部ホテルの手書きの張り紙が

迷わず仲間三人と移動、避難所脱出する

部屋の窓から眺める真っ暗な街、静かだ。

信号もない、駅も真っ暗、人も車もいない

避難所でもらった新聞の号外をみながら

ホテルのラジオを 着いた!

と同時に街に灯りが着いた、停電回避

携帯の充電、YOKOさんに電話した。

ラジオからサッチモのワンダフルワールドがながれた

DJが言う、被災地の皆さん頑張ってあきらめないで

数日が経ち、盛岡の仲間から秋田空港が動き出したと言う

秋田空港の飛行機、予約取れた、ホテルで交渉してもらい、北上から二万円で空港までタクシーで移動が決まる

荷物をまとめた。余った滞在用の食料は段ボールで送る。

翌日無事に出発、途中ガソリンスタンドの行列を目にした、

秋田空港が見えた予約帰れる。久々に生ビールで乾杯、横手やきそばを食べた。

僕らと入れ替えのように各地から医療スタッフが次々と到着する。

こんな光景は初めてみた。

飛行機は無事に離陸、羽田空港にはYOKOさんが迎えにきてくれた。

そのままタクシーで浅草へ、何も喋らずに首都高速を走る

ようやく帰れた。

これが、私の3.11

14年前の春の東北での出来事、ちなみに予定では3.12から、石巻、気仙沼、釜石と回る予定でした。

今、確かに生きている。

この命を大切にしなければ

On the roadまだまだ続く

黙祷

 

 

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