佐野元春と共に生きた人生2

アトラスレコーズ

先週のスタジオ収録は、テンション上がりすぎました。笑。

本当に沢山のリクエストが、北海道から九州まで、恐るべし佐野元春。放送は9月3日です、お楽しみに。

今週は1985〜ヤングブラッドの頃、ヴィジターズツアーの成功で世の中も音楽シーンも佐野元春ブームが巻き起こる。シングルヒットも出てアルバムをヒット、ようやくトンネルを抜け出た感じでした。

 

大学生4年、就職活動もそこそこ新聞社のアルバイトで、世の中を軽く見ていた。やがてつまらない大人にはなりたくないと言いながら、就職。

しかも横浜を離れて岐阜へ、、、ああ、もうおしまいだ。1986諦めかけた僕を元気付けてくれたのは当時毎月発表された、シングル三枚、ストレンジデイズ、シーズンインザサン、ワイルドハーツ。

発売日に買いに行きました。仕事はハードで毎晩深夜に下宿先へ帰宅、音楽を聴いても直ぐに眠ってします。気がついたら朝、そんな毎日

ただのスクラップにはなりたくないさ、といいつつ身体がガタガタになる。

名古屋に佐野元春が来る、チケットを手に入れ会場へ、一曲目スターダストキッズを弾き語る、思わず涙が溢れてくる。

1987、遠距離恋愛はもろくも崩れ落ち、最悪の結末、いまも彼女を聴くとグッとくる。三年半の地方暮らしが終わり、ようやく横浜へ帰る。

 

ナポレオンフィッシュ、素敵なアルバムがロンドンから届いた、ーこのアルバムでパブロックという音楽シーンに触れる。横浜スタジアムのコンサート雨でしたが、ぐしゃぐしゃな身体でも最高に気持ちよかった。佐野元春はどこへ行くのだろう

 

1990タイムアウト、タイトなアルバムが届いた。ある日、親戚の冠婚葬祭で、チャンスが訪れた、ある船に乗らないかそれは同時に人生を大きく揺るがす出来事、ジャクソンブラウンの武道館を見て僕はその船に乗ることに決めた。

それがどんな運命になるかもわからず。僕は大人になった。28歳の春のこと。

 

この時期になっても衰えをしらない佐野元春は名盤スウィート16、約束の橋シングルを大ヒットさせたのだ。勢いは止まらない。新しい航海は楽じゃなかった。世界は変わり、気がつけば音楽から遠く離れている自分がいました。それでもある日ラジオから聞こえたレインボウインマイソウルから勇気をもらえた。よおし僕も頑張るぞ。船は順調に進み気がつけば甲板に立ち、舵を握る自分がいた。

 

なくしてしまうことは悲しいことじゃない、たくさんの出会いと別れ、生きることはなんて無様なんだろう。気がつけばバブルははじけて、銀行の奴らの顔色が変わって来た。

こんな時期、ザ サークルアルバムとそのツアー、チケットは手に日ありづらく千葉の地方のホールでも満杯、どんなに忙しくても毎回ツアーには参加していた。それは佐野元春に会いに行き今の自分を確認するために。

やがて長年のバンドが解散するというニュースが、不思議と驚かなかった。グッバイから始めようという歌が蘇る。自分の家を建て家族を持つことだけが本当に幸せなのか?

ふと自分に尋ねてみた。

1994、9月横浜スタジアムでハートランドは次のそれぞれの港へと帰った。三十代後半に鏡の中の自分が笑っていないことに気づいた。

 

part 2はこの時期を特集します。既に個性的なリクエストとメッセージをいただきました出来る限りメッセージは全部紹介します。そして僕も人生を振り返りながら佐野元春を自分を確認したい。

リクエストの宛先はこのブログ内にあります。是非皆さんの佐野元春を教えて下さい。締め切りは明日金曜日です。

土曜日のスタジオは狛江でシャウトします。