Mother’s sun ーある晴れた午後

ナシゴレン

朝方の雨もすっかり上がり紫陽花に雫が流れた頃、横浜の街に太陽が顔を出した。

旅立ちの日にふさわしい、新しいあちらのお名前に、晴という文字がつけられた。まるで今日を表すような。86年間の人生を笑うような。

一週間前、日曜日の深夜、病院から連絡があり、いよいよだなと。タクシーで首都高速を走りながらいろんな事を思い出していた。それは、間違いなくいままでの人生で、不思議と寂しさはなかった。腹が決まっていた。

やがて個室に移動され、本当に家族だけになり、看護スタッフから音楽かけてあげてくださいというので、携帯から大音量で大好きだった、カラオケの十八番を。歌っていました。たしかに左手をいつものように上げて。

選曲は十八番を選びました。やがて、親父が迎えにきたようです。相変わらずの悪口ざんまいでみんなを笑わせてくれました。本当にみんなに囲まれて幸せでしたね。

兄が気遣ってくれ、僕らにホテルで先に休ませてくれ、その後兄ももどると、親父が、、、最後まで粋な計らいでした。さすがわ下町育ち。だれにも後ろ姿は見せずに虹の向こうへ

 

 

Yokoさんが、メイクをしてくれた。旅立ちにふさわしく、迎えに来た親父が驚くような唇の赤。いい感じじゃないか。家族水入らずの暖かい時間でした。これぞ親孝行の見本のような、兄のお陰でまるで何事もなかったように、笑った顔を僕らに見せてくれた。滞り無くというのは、兄のおかげです。

これからは、太陽となり月となりお空から僕らを見守ってくれる事でしょう。ラジオはまだまだつづきます。歌も歌い続けます。旅も続くでしょう。観ていてください。こうして、老後という最期の子育てを命懸けでやってくれた,ハルミちゃんに心からありがとう。

写真は横浜時代、料理屋の女将さんでした。

春駒にて

 

最後に、お世話になった病院のスタッフの皆様、介護士スタッフの皆様、お悔やみの言葉をくれた皆様に心から感謝します。